ギョレメ国立公園旅行記
好きです♪トルコ~ギョレメ国立公園とカッパドキア奇岩群~(by 4travelerさん)
やってきましたカッパドキア!
時間がない為、イスタンブールでツアーを組んでおきました。
ガイド(英語)もしっかりしており、見どころを効率よく回れたので大正解でした(^^)v
ちなみに料金は、市内からアタトゥルク空港までの送迎、カイセリまでのエアー代、カイセリ空港からの送迎、下記1泊2日(昼食&ホテル)のツアー、次の目的地パムッカレまでの夜行バス、さらにパムッカレ⇒イスタンブールの夜行バスと全て込みで≪27,000円≫でした。
【1日目/北部カッパドキア観光】
デブレント渓谷(Devrent Valley)
パシャバー地区のきのこ岩見学(Pasabagi)
アヴァノスにて陶器工房見学(Avanos)
ギョレメ屋外博物館(Goreme Open Air Museum)
パノラマビューポイント エセンテペ(Esentepe)
ウチヒサール城(Uchisar Castle)
【2日目/南部カッパドキア観光】
レッドバレー(Red Valley)
ローズバレーハイキング(Guludere Valley)
チャヴシン村(Cavusin Village)
鳩の谷(Pigeon Valley)
カイマクル地下都市(Kaymakli Underground City)
オルタヒサル(Ortahisar)
トルコ旅行記(5):4月2日:アンカラ・アンカラ市内見学、カッパドキアへ(by 旅人のくまさんさん)
<2007年4月2日>
早くも今回の旅行の半ばに差し掛かりました。昨日お聞きしていた今朝のスケジュールです。6時半モーニングコール、7時から朝食、7時半に荷物出し、8時出発でした。この時間が標準になりました。空は晴れて、上々の天候となりました。
今日の予定は、午前中にカッパドキアまで移動し、世界遺産に指定された奇観の見学です。「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」として複合世界遺産に指定されています。
<早朝の散歩>
今朝も6時前に起きて、6時半から早朝の散歩に出掛けました。昨晩経験済みですから、ホテルを出て左手に出て、緩い坂を登りました。昨晩通ったバスターミナル付近では、何人かの人がバスを待っていて、タクシーも走り始めていました。
夜景で撮った銀行の前を通り過ぎ、アタチュルクの像がある交差点に出ました。逆光気味でシルエットになりましたが、この像も改めて撮影しておきました。
ここからは左に折れて、緩い坂道を更に登りました。左手にはデパートのような建物があり、地下一階へ下りるエスカレータが見えました。その横の敷地には、掘削途中で中止したような遺跡址らしいものがありました。紀元前からの歴史を持つ古都ですから、少し掘れば、遺跡が見付かるのかも知れません。朝食が始まる7時にはホテルへ戻りました。
<アタチュルク廟>
「トルコ建国の父」として敬愛されているケマル・アタチュルクについて先に説明しておきます。全てのお札にその肖像が使われていますから、トルコ旅行では、最初にお世話になる顔の人です。
今でもトルコでは毎年11月10日9時5分になると、1分間の黙祷が行われます。ケマルが死去した宮殿の全ての時計は9時5分で止められているようです。第二次世界大戦が始まる前の1938年のことでした。
現在でも愛国心の義務付けが刑法に明記されていて、国旗などの他、「テュルクルク」への侮辱に対する罪を明文化しています。「テュルクルク」とは、トルコ的なるものです。刑罰は、禁固1年から6年とされます。
現地ガイドのスワウィさんは、最初に「トルコではアタチュルクの悪口を言うことは許されていません」と口にされていました。「一部問題はありますが、、。」と言って、それ以上は話されず、口を閉ざされました。
その名前の由来です。日本の明治維新後、日本では「姓」を持たなかった階層が「姓」を持ちました。同じ改革を、トルコではケマルが行いました。本来、イスラム教徒に「姓」はないようです。アタチュルクは、議会からケマルが敬意を以って贈られた姓で、「トルコの父」という意味です。
ケマルについて、「正しい独裁者」という呼び方があります。確かに彼は合法的な「独裁者」だったようです。暗殺未遂事件の首謀者の死刑命令書に署名した後のことです。国会の場で、「現在の時点においては私がトルコだ!」と演説を締め括ったとされます。しかし、多方面に亘る改革と、実行力が、「建国の父」として、今も敬愛されています。
ケマルの改革のいくつかを紹介します。皮切りの大事業が、「スルタンにしてカリフ」である皇帝制度の廃止でした。1922年11月、「国民の敵」となっていたメフメット六世を退位させ、600年の歴史を持つオスマン王朝を滅亡させました。
次に、政教分離と教育です。彼は皇帝制度廃止に続いて、カリフ制度も廃止して、「宗教」と「政治」の分離を実現しました。その後、「国家企業主義」を採って軽工業から産業革命を起こしました。
彼は、ヨーロッパに留学生を派遣して人材を育成し、各国を手本に近代的法律を作成させ、全国民に初等教育を義務づけました。自らも地方を回って、教宣活動を行いました。スワウィさんは アラビア文字に替わって、アルファベットによる法律が作られました」と紹介していました。
その他にも、メートル法、太陽暦の採用、そして「服装改革」などを行い、今日まで続いています。ところで、先ほど読んだ4月16日の新聞に、近く行われるトルコの大統領選の記事がありました。イスラム教政党が過半数を握る議会第一党になったことで、政教分離を巡る古くて新しい問題が、再燃しそうな気配があります。
もし、イスラム教を国是とする国になった場合は、アタチュルクの評価も変わる可能性があります。アタチュルク廟の前では車を降りて、記念撮影をしました。この時は、トルコの大統領選の事も知りませんでした。
<カッパドキアへの途中に立ち寄った塩湖>
カッパドキアへ向かう途中で立ち寄った見学地は、トゥズと呼ばれる塩湖だけです。死海が有名ですが、塩湖は世界各地にあります。
トルコ東部のヴァン湖に次いで2番目に大きなこの湖は、琵琶湖の3倍ほどの大きさです。200~300年前までは海だったようです。冬は雨が溜まって水深2m程になるようです。
今は冬が終って間もない次期ですから、水量は減っていたものの、真っ白ではなく、赤茶けた感じの色でした。吹曝しでしたから、風を冷たく感じました。早々に戻ってきました。
<カッパドキア到着、洞窟レストランでの昼食>
塩湖の見学を終えたところで、カッパドキアへ向けてひた走りです。アンカラからの中間点は過ぎていました。昼頃にはカッパドキアの奇岩が見え始め、一寸した集落を過ぎてから、やや坂を登ったところで洞窟レストランに到着しました。
カッパドキアの名物は、密封した焼物に入れて仕上げられた料理でした。その封を切って、料理を取り出すパフォーマンスが、目の前でありました。カッパドキアワインに良く合う料理に舌鼓を打ちました。
<最初のカッパドキア見学>
最初にカッパドキアについて説明しておきます。カッパドキアは、標高千メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100キロ平方近くに亘って岩石地帯が広がる台地です。キノコや煙突のような形の奇岩が林立し、自然が造り出した芸術作品です。この不思議な風景は、長年の火山活動で柔らかい地層と硬い地層が重なり、侵食されて生み出されました。
洞窟での昼食の後最初に見学したのは、ウチヒサル城と呼ばれる山が見える場所でした。ウチヒサル村は、カッパドキア地方で最も高いところに位置します。村の中央に大きな凝灰岩の岩の要塞が聳えていて、岩をくり抜いた住居が、遠くからでも見ることができました。カッパドキアを象徴する景観の一つです。今も住居として使われているようです。
<ギョメレ屋外博物館>
カッパドキアでは、4世紀頃から多くのキリスト教徒たちが共同生活を営んでいましたが、ギョメレはその中心となった地です。イスラム教徒の迫害を逃れた信者たちは9世紀頃から次々と洞窟教会や修道院などを造り始め、10世紀のビザンチン時代初期には400以上の教会があったといわれます。現在は、約30の教会が集まるギョメレの谷を博物館として保存・公開しています。見所の多い、洞窟教会でした。
7世紀頃のものから、教会の建設が盛んだった11世紀頃までのものが見学できます。大小の教会は、鮮やかなフレスコ画などで装飾され、それらの絵は「カッパドキア様式」ともいわれる芸術性の高いものです。
バジル教会は、ギョメレ野外博物館の入口から歩いて最初の教会です。11世紀頃に建設されました。教会の祭壇を囲む四方の壁に残されているフレスコ画である、「キリストの肖像画」、「聖母マリアと幼少のキリスト」、「馬に乗った聖テオドーレ」、「馬に乗って大蛇と戦う聖ジョージと聖デメトリウス」の4点は、多少傷みが目立ちますが、顔の表情などはなんとか見てとることができます。
バルバラ教会は、11世紀頃に建造されました。内部は十字型に広がり、2本の円柱、アーチ型の天井、ドームなどで構成され、石壁一面に、神話の動物などの模様が赤い塗料で描かれています。
十字架は、偶像が禁止されていた時代にキリストの象徴として描かれたもので、東側の壁には「キリストの肖像」、北側には「馬に乗って大蛇と戦う聖ジョージと聖テオドラ」、西側には「聖バーバラの肖像」の絵が残っています。
ヘビの教会は、入口を入って左側の壁に、聖ジョージと聖テオドールの2人の聖人がヘビを退治しているフレスコ画が描かれているのが名前の由来です。そのすぐ側には、十字架を手にしたコンスタンティヌス大帝とその母ヘレンの絵、入口右側には、もと美しい女性だったが神にお願いして男性に変えてもらったという伝説が残っている聖オノフィラスが描かれています。
暗闇の教会は、4本の柱に支えられた岩窟教会で、13世紀に造られました。小さな窓しかなく、内部に光があまり差さないため、フレスコ画の保存状態が良い教会です。また、この内部の薄暗さが、教会の名の由来と言われています。本堂の前にある控えの間には「キリストの昇天」と「使徒たちの祝福」のフレスコ画、丸天井にはキリストの一生を表す絵が残っています。
<隊商の宿、キャラバンサライ>
カッパドキアの奇岩の見学の合間に、シルクロード時代の隊商の宿、キャラバンサライを見学しました。
セルジュク朝時代の商業で、最も重要な3要素は交通路、キャラバンサライ、宿(ハン)とされます。セルジュク朝は、9世紀から10世紀末に栄えたサーマン朝に仕えた、トルコ傭兵隊長セルジュクの子孫が東部イランのホラサン地方で独立したのがセルジュク朝です。11世紀の半ば頃から12世紀の中頃まで、1世紀余りを支配した王朝です。
その頃、長旅の際にはキャラバンサライには、疲れを癒すため宿泊することができました。動物達も十分に休んで、また旅を続けました。セルジュク王朝の時代のキャラバンサライの起源は、「リバット」と呼ばれる建物でした。
以前は軍事目的で建てられた小さなこの建物は、その後に拡張され、もっと大規模に建設が始まりました。そして、信仰目的と旅人の宿泊所として使われるようになりました。
特にセルジュク朝のスルタンのクルチアスラン二世とアラディン・ケイクバト1世の時代にキャラバンサライ建設が増やされ、路線の信頼性は政府により保障されました。旅で被害に遭うアッシリア人の損害は、時の政府によって保障されました。すなわち旅における保険システムです。このシステムが機能し、国内と海外貿易が発展していきました。
このようにして経済面から強カなセルジュク人は政治面においても強くなりました。キャラバンサライは定着外国人との区別をつけず、全ての人に3日問の食料を与えました。靴の修理、貧しい人々への新しい靴の提供もあり、病人は治療され、動物の世話もされ、必要に応じて蹄鉄も打ち付けられました。
信仰礼拝は通常中庭の中央で見られる「キヨスクメスジド」((離れの礼拝所)と呼ばれる所で行なわれました。一般的に中庭中央に位置するキヨスクメスジドは、キャラバンサライの最も重要な場所でした。
アーチ形の台上にある中庭の辺りの部屋は宿、倉庫、ハマム(トルコ風呂)、トイレから構成されています。この部屋の暖は火鉢、もしくは、かまど等で、明かりはろうそくと灯油ランプ等で確保されていました。そして医者、僧、宿の主人、保存食料役人、獣医、馬の伝達屋、蹄鉄エ、コックから構成されるキャラバンサライの主達が任務に当たっていました。
見学したキャラバンサライは、壁や敷石なども新しいものでした。この地方で採れる石材を、切り出して使っていました。古い石材も所々に混じっていましたから、元々あった場所に再建されたか、大掛かりな修復を加えたもののようでした。
キャラバンサライは、1日分の旅の距離に当たる30~40km間隔で建設されていました。隊商のルートは、アン夕ルヤ~コンヤ~アクサライ~カイセリ、エルズルム~デブリズを通り、トゥルクメ二ス夕ンへ、更に黒海沿岸からアマスヤートカット~シヴァス~マラティア~ディアルバクルからイラクまで延びていました。
<再びカッパドキア>
カッパドキアは、アナトリア高原中部に100キロ平方近くに亘って広がる台地ですから、見所は各所にあります。次の見学地ですが、ガイドさんの説明を聞き漏らしましたので、良く分かりません。旅行計画書と照らし合わせて、バラの岩当たりと推測しました。
そう言えば、夕陽で染まる話をガイドさんがされていたような気がします。しかし、確かではありません。消去法でいけば、これ以外では鳩の谷が残るだけです。その鳩の谷は、岩に穿った住居の出入口が多数見えるはずですから、こちらでもないようです。
名前はともかく、この場所には、見下ろす谷には果樹の花が沢山咲いていました。山が侵食されて、堆積した粒子が土となっているようでした。見渡す限り、この光景が続いていました。
この名所を見晴らす場所には、休憩所もありました。2005年の愛知万博の際も実演されていた、硬いアイスクリームがこのお店の自慢の品のようでした。長くてがっしりした金属のスプーンでアイスクリームの金属容器を叩いて、上手にリズムを執っていました。写真編をご覧下さい。
<ホテルでの夕食>
カッパドキアで宿泊したホテルでの夕食は、民族楽器を使った演奏付でした。料理の方は、バイキング方式で、品数が揃っていました。飲み物に白ワインのグラスと、赤のハーフボトルを注文しましたから、最初は白ワインに会いそうな品を選びました。野菜類を主体に15種類ほどです。残さないよう、量を少なくしました。
次が赤ワインに合いそうな料理の番です。こちらも余り重たくならないよう、12、3種類を選びました。大き目の鶏肉や、ステーキ類もありましたが、それは遠慮しました。写真編に、これらの料理をアップしておきましたので、ご覧下さい。味付けも全く問題がありませんでした。濃い味が好きな方は、塩や胡椒等で自由に調整できました。
アタチュルク廟で
岡の上の赤き国旗は静まりてトルコの国父廟にいませり
塩湖で
人浮ぶ死海誕生今に見る内陸に在り塩の湖
ギョメレ屋外博物館で
岩山を自在に穿つ洞窟に鮮に残る聖像見たり
キャラバンサライで
隊商の駱駝も共に休みしし宿守りたる高き石塀
トルコ世界遺産巡りの旅⑨ 世界遺産・ギョレメ国立公園とカッパドキア奇岩風景 その2(by GOTOCHANさん)
2008年9月24日、トルコ6日目はお昼までカッパドキア観光です。天候に恵まれ、堪能できました。
トルコ世界遺産巡りの旅⑦ 世界遺産・ギョレメ国立公園とカッパドキア奇岩風景 その1(by GOTOCHANさん)
2008年9月23日、トルコ5日目はトルコ観光の目玉とも言うべきカッパドキア観光です。今回の移動だらけのツアーでは珍しくホテルに連泊し、カッパドキアの見所を1日半かけて回ります。カッパドキア初日のメインはギョレメ野外博物館とカイマクルの地下都市です。
<作成中。とりあえず写真だけのアップです>
感動!地平線まで奇岩が広がる絶景 ~世界遺産カッパドキア~(by どんぴさん)
深夜バスに揺られ、やってきたのは子供の頃からの憧れ・世界遺産カッパドキア!様々な形の奇岩が広がる絶景、出会い、そして気球事故(笑)と一生忘れられない2日間になりました。
まずは一日目。ギョレメ村、ウチヒサル、ピジョンバレー、ギョレメ屋外博物館、ローズバレー夕焼けツアーを訪問します。
【今回訪問する世界遺産】
第95弾「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟」
□8/8(金)
成田空港出発(12:00)、モスクワ経由・イスタンブール着(25:05)
□8/9(土)
→(空路)→イズミル→セルチュク(エフェス遺跡)
□8/10(日) セルチュク→パムッカレ
□8/11(月) パムッカレ→(深夜バス移動)
■8/12(火) カッパドキア
□8/13(水) カッパドキア→(深夜バス移動)
□8/14(木) アンカラ→サフランボル
□8/15(金) サフランボル→イスタンブール
□8/16(土) イスタンブール
□8/17(日) イスタンブール発(12:55)、モスクワ経由
□8/18(月) 成田空港到着(10:00)
旅館立花
〒413-0022 静岡県熱海市昭和町5−13
↑施設の外観
交通手段:JR東海道線熱海駅→バス熱海港行き約10分児童公園前下車→徒歩約1分
値段:9700~30700円

ホテル琵琶湖プラザ
〒524-0102 滋賀県守山市水保町2892−2
↑施設の外観
交通手段:JR湖西線堅田駅→タクシー約10分
値段:4725~12075円

ホテル海麓園
〒997-1117 山形県鶴岡市下川字東海林場358−3
↑施設の外観
交通手段:JR羽越本線鶴岡駅→バス湯野浜温泉行き約40分消防署下車→徒歩約2分
値段:10500~24150円

蒲郡プリンスホテル
〒443-0031 愛知県蒲郡市竹島町15−1
↑施設の外観
交通手段:JR東海道本線蒲郡駅南出口→タクシー約5分
値段:10800~34100円

かのや光楽苑
〒922-0412 石川県加賀市片山津温泉乙64−1
↑施設の外観
交通手段:JR北陸本線加賀温泉駅→タクシー約10分
値段:9000~26700円

尾道ビュウホテルセイザン
〒722-0032 広島県尾道市西土堂町16−21
↑施設の外観
交通手段:JR尾道駅〜バス尾道駅乗車(約5分)長江口駅下車〜ロープウェイ長江口駅乗車(約3分)千光寺山頂駅下車〜徒歩(約6分)
値段:5250~17850円

ホテルグリーンプラザ東条湖
〒673-1412 兵庫県加東市廻渕字東山317
↑施設の外観
交通手段:JR福知山線新三田駅→タクシー約30分
値段:9000~26100円

関空日根野ステーションホテル
〒598-0021 大阪府泉佐野市日根野4066
↑施設の外観
交通手段:JR大阪駅〜JR大阪駅乗車(関空快速・関西空港)行き(約50分)日根野駅下車〜徒歩(約1分)
値段:6000~10500円

八丈ビューホテル
〒100-1401 東京都八丈島八丈町大賀郷4422−1
↑施設の外観
交通手段:八丈島空港→徒歩約20分またはタクシー約5分
値段:11550~26250円

釧路プリンスホテル
〒085-8581 北海道釧路市幸町7丁目1
↑施設の外観
交通手段:釧路空港→市内行きシャトルバス市役所前下車→徒歩約2分
値段:5100~29400円

ギョレメ国立公園関連エントリー
沢尻エリカの水着写真集の撮影シーン
... しかしそれに賛同するとたぶん ギョレメ国立公園 トルコの世界遺産 には、反対するんだろうな。 まあ何と、ソン・ヘギョの美しいこと(ボク的には、テレビのハ・ジウォンのファンであったりするけれど)。 ...

トルコの「ギョレメ国立公園及びカッパドキアの岩窟群」(世 ...
11年前の1996年の夏休みに,トルコを旅行しました。そして,長い間憧れていた「カッパドキア」に行き,何とも不思議な大奇岩地帯を観てまわりました。 「カッパドキア」は,トルコのあるアナトリア半島の中心部にある世界的に有名な奇岩地帯です。 ...

「世界遺産を歩こう」荻野 洋一 PHP研究所
... 3章 アジア(トルコ共和国・イスタンブール歴史地区 トルコ共和国・ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群 ほか) 4章 南北アメリカ(カナダ・カナディアン・ロッキー山脈公園群 カナダ・ケベック歴史地区 ほか) 5章 アフリカ・オセアニア(エジプト ...

ソニービルで「世界遺産」イベント
... 1000ピース サグラダ・ファミリア~未完の聖堂~ 71-347 2000ピース モン・サン・ミッシェルとその湾 19-011 500ピース ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群-トルコ 06-018S 脳◎ ジグコレ世界遺産 (説明扉付きスリムパッケージ版) 空撮ヨーロッパ世界遺産 ...

屋久島、白神山地、グランド・キャニオン……高画質映像でつ ...
... 「自然」ではオーストラリアのグレート・バリア・リーフ、ロシアのカムチャッカ火山群など約23ヵ所、「文化」ではギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟(トルコ)、モン・サン・ミシェルとその湾(フランス)などおよそ48ヵ所、また「日本」では前述の知床 ...

ギョレメ国立公園とは?
『カッパドキア』より : :”w:en:Cappadocian (World of Darkness)も参照”
カッパドキア(ラテン語 ”Cappadocia”)とはトルコの首都・アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。
古代の地理においてCappadocia (トルコ語:Kapadokya、ギリシャ語:Καππαδοκία)は 小アジア (いまのトルコ)のきわめて内陸の地域。ヘロドトスの時代には「カッパドキア人」がトロス山脈 タウルス山脈から「エウクシネ(Euxine、いまの黒海)」まで支配していた。
いまの感覚では、カッパドキアは南はタウルス山脈、東はユーフラテス川、北はポントス地方(黒海沿岸部)、西へは大体に大中央塩湖までの地域である。だが、正確に定義することは不可能である。諸国の詳細な記録を遺した古代の著述家であるストラボンは大いにその次元を誇張している。いまはおよそ250マイルの長さに150マイル以下の幅の範囲だと信じられている。
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群の詳細